知的好奇心の探求の結果

外資系コンサルファーム出身で、いまはしがない中小企業のこじらせたおっさんの独り言。

知的風俗業たるコンサルタントのお仕事

コンサルタントってなんなんですか?」

 

女性と食事にいくと職業について必ず聞かれ、コンサルタントと答えると大概はこの質問になる。なんとなく世の中を知った風な女は

「あぁ、コンサルね」

と分かった顔をするがあいつらはわかってない。

クライアントだってそう。

自分たちが雇っているコンサルタントが何をどうできるのかさっぱりわかってないのに、高いお金を払っている。まぁ、会社の金で自腹でもないからそんなことができるんだろうが、私は自分の会社でコンサルタントを雇おうなんてこれっぽっちも思わない。

 

コンサルタントの仕事とは何か。それは

「知的風俗業」

これがいちばんしっくりくる。

 

コンサルタントは論理的だとか、革新的だとか、地頭がいい、そういうイメージを世間では持っているかもしれない。そのへんの女と話をしてみても、なんか頭よさそうとか言う。

もしかしたら頭がいいのかもしれない。しかしコンサルタント以外にも頭のいい人たちはどこにでもいる。企業の経営企画室なんてところじゃなくても、町工場にだって、その辺のアパレルショップにだって、頭がよく論理的に話ができ効率的に仕事ができるひとはごまんといる。コンサルタントだけがとびぬけて頭がいいわけじゃない。

つまり、ふつうだ。

 

しかし、実際には多くの企業にコンサルタントという名の職業の人たちが、自分も含めごろごろといる。とある大企業でのミーティングではクライアント企業の人物は一人も出ず、3つのコンサルティングファームのコンサルだけで話をするなんてこともあった。この会社は末期症状だと思うが名は伏せる。

 

話をもどして、なぜそんなにコンサルタントが買われるのか。その答えが

「知的風俗業」

という言葉にある。

 

コンサルタントはクライアントに対して「気持ちよさ」を提供している。

それも「知的な気持ちよさ」だ。知的な気持ちよさというのは何も新しいことを知るとか斬新なアイデアを見つけるとかそんな革新的なことではなく、

「クライアントが考えていることを理解する」

「クライアントが考えていることを承認する」

まずはこんなことで十分だ。

 

多くの人が自分を理解してほしいと思っている。ましてやコンサルタントに金の払える企業の役職をもった社員であればなおさらだ。そんなところにスマートな格好で颯爽と知的風俗業者が現れ、

「よくわかります。ガー〇ナーのレポートでも今後5年の課題のトップ5に入っています。目の付け所は正しいと思います」

とでもいえば理解と承認は完成する。

もっと知的にくすぐるのであれば

「しかし、御社は同業他社と異なるところも多く、一概に一般的な解決策を適用できるとは限りませんね」

と、担当者が悩んでいる、担当者がなかなかできずにいることは「さも当然だ」という理解を示す言葉を足してみる。

おそらくこのあたりで多くのクライアントは

「このコンサルはなんかできそうだな」「わかってるな」

という感情になる。

 

ここから知的風俗サービスは佳境に入り、SMプレイをし始める。

が、直接ムチはふるわない。

「しかし、ここ3か月も特段の進展もないというのは・・・、きっと周りもそろそろ成果を期待し始めるころですね」 

 

だれも傷つけない、誰も悪者にしない、しかし担当者にだけ届くムチ。

そんなものをふるう。

 

理解され、承認され、ムチを振るわれたクライアントは、不思議なことにそのコンサルタントを信用する。
議論なんて一切していないのに、なぜかこのコンサルはとても頭がいいことになっている。なぜならクライアントの悩みをたった数十分で理解してしまったからである。

 

いや、正しく言うと、たった数十分で理解してしまったかのような知的風俗サービスを提供したからである。